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歌と朗読と言葉をつむぐ*まほろカンパニー

朗読の妖精

ほろほろ日和Horohoro-biyori

回顧録2 -歌、やってみる?-

先生、私、どうしたらいいんでしょう。

ブツクサと語り続ける私のタワゴトを、ニコヤカに聞いていた大本先生は唐突に切り出した。

お前、芝居を棄てる勇気があるか?

…?

もし全てを棄てられるんだったら、歌、やってみる?

…?

その代わり、今までやって来たことを何もかも棄て去ること。
それくらいの覚悟がないと歌は歌えないよ


無理だ…。

小学校の時に目覚めて以来、芝居に携わることだけを目標に今までやって来た。
今更、芝居を捨てるなんて出来ない。
曖昧な返事を残して帰宅した私は、その日から高熱にうなされた。
熱を出すほど考えてみても、答えは出せない。
だが、他に行くところがない。
やれることは全てやってみたのに仕事につながらない。
努力だけでは、どうにもならないことがあるのだ。

これは多分、チャンスだ。
先生が言ってくれたのだから、賭けてみるしかない。
もしこれでダメなら…。
諦めて広島に帰ろう。

熱が下がり2週間後に、私は再び大本先生宅を訪ねた。

先生。芝居、棄てます。
二度と芝居のことは考えません!
歌に賭けてみます。よろしくお願いします!


先生は少し困ったような顔をされた。

エライものを抱え込むことになったな…。
まさか本当に芝居を捨てるとは。
ここまで悲壮な顔付きで来られたら、何とかなるまで面倒見るしかないじゃないか。
オレも腹を括るしかないかなぁ…


とこれが大本先生の心の中の言葉である。

このことを後日伺った時にはさすが気が抜けた。

先生がそんなことを考えていたとはつゆ知らず、こうして私は「この道」を芝居から歌へと方向転換させた。

だが、レッスンが始まって即、私の方が猛烈に後悔した。

この男は鬼かー!と何度も思った。
半端じゃない厳しさ。
徹底的にしごかれた。わずかばかりのプライドもぐっちゃぐちゃ。
譜面が何度も宙を舞った。
レッスンが終り、ガックリとうなだれていると

オイ、飯でも食って行け。
お前は一人暮らしで大変だからな


と先生。

大本家のご家族が揃った和気アイアイの食卓には、いつも半泣きでうどんをすする私の姿があった。

こんなに優しくするのなら、あんなに厳しくするな!

と言いたかったが言えるはずもなく、次のレッスンではやはり半泣きになるのだった。

レッスンが始まって2年半が過ぎた。
あまりの厳しさと先の見えなさに疲労困憊し、そろそろ潮時なのかなと思い始めた頃だった。

お前、シャンソンて知ってる?芝居やってただろ。
だったらシャンソンの世界は面白いよ。
銀座に銀巴里というシャンソン喫茶があるから行っておいで


先生に促され、シャンソン喫茶のことなど何も知らないままに銀座に出て、
当時ヤマハの側にあった「銀巴里」を訪ねた。

ビルの地下への狭い階段を下りると、薄暗がりの受付で、おばあさんが「何にします?」と
ボソッと聞いてくる。怖くなった。

は、初めてです」と訳の解らないことを口走る私に、おばあさんは怪訝そうな顔で
メニュー差し出し「好きなものを選んで。1500円」と言った。

コーヒーを選び、お金を支払って店内に入る。
穴倉のような暗い場所。
あまりにも妖し気だ。

クラブやスナックで散々水商売のバイトをしているくせに、自分の知らないところだと、
急にしおらしくなる。

店内は正面にステージがあり、教会の様に列を作ったベンチシートの客席が並んでいる。
平日の夕方なのでサラリーマンやOLらしき人ではぼ満杯だった。

後ろの座席にオズオズとお行儀良く腰を掛けた途端、照明が落ち、バンドのメンバーが
ステージに登った。

ピアノ、ベース、ギター、ドラムの4人編成。軽いテーマが演奏され、新人らしき歌手が登場。
本日の出演者の紹介をして、歌い始めた。

思わず、口に運んだコーヒーを吐き出しそうになった。仰天した。

え〜〜!!すっごい、上手!!

テレビで一度も見たことがない、全然知らない人がここで歌っている。
しかも、上手い!!イイ!こんなに凄い歌、聴いたことがない。
これがシャンソン?1500円でコーヒー付きで聴けるの?
ウッソ〜!いいじゃん、いいじゃん!面白いよ、これ!
その時歌っていたのは、高橋久美子さん。
現在ではクミコという名でマスコミにも取り上げられ、大活躍をしているシャンソン歌手だ。

クミコさんのステージが終わり、渡辺歌子さん、しますえよしおさんといった、
シャンソンの世界では超が付くほどの人気と実力を兼ね備えた歌い手が続々と登場して来る。

こんな世界があったんだ…」陶然としていた。

夢の様にステージは進んで行く。
脱走兵や娼婦の歌。レジスタンスの若者の歌。地下鉄の切符切りの歌…。
歌と言う名の演劇空間に身を置いているようだった。
封印したはずの芝居への思いが全身に溢れ出し涙が止まらなかった。

ステージが終わってすぐ、私は大本先生に電話をかけた。

先生、私、歌やってみます。シャンソン歌いたい!銀巴里で歌いたいんです!

よし!お前はシャンソンの世界に嫁にやる!楽しんで来い!

と電話の向こうで晴々とした先生の声が響いていた。

上京して7年。
ようやく光が見えてきた。後は私の実力次第なのだ。

とりあえず、シャンソンのレパートリーを2〜3曲譜面にして、銀座にあるシャンソンの
ライブハウスの扉を意気揚揚と叩いた。

オーナーの女性歌手が私を一瞥するなり言った。

あんたさぁ、何曲位レパートリーあるの?え?3曲?それじゃ、話になんないよ!
先生紹介するからさ、勉強して出直しておいで


一言の発声すら聴いてもらえなかった。
紹介されたシャンソンの先生について、レパートリーを増す為のレッスンが始まった。
ここでまた半年。世の中は本当に、甘くない。

ようやくお許しが出て、再度オーディションに挑戦。

明日からここで歌いなさい

というオーナーの一言で、銀座のライブハウスのレギュラー出演が決まった。

思い描いていた「この道」が初めて仕事につながる。
自分の好きなことでやっとお金が貰えるようになるのだ。これからが本当のスタートだ。

嬉しくてしみじみと涙が出てきた。

1987年春。シャンソン歌手としての生活が始まった。


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