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歌と朗読と言葉をつむぐ*まほろカンパニー

朗読の妖精

ほろほろ日和Horohoro-biyori

回顧録1 -人生うろうろ-

小学校の卒業式で、担任の教師から「あなたはこの道を行け!」と背中を押され、
どの道かも確認しないまま「わかりました!!」と気負い込んで進路を決めたお調子者の私。

役者になることが「この道」と勝手に納得してからは、それ以外のことは
何も目に入らなくなってしまった。

18歳になったら東京へ出よう!

あと3年、あと1年…。

私の10代は旅立ちの日を指折り数えることで、半分以上が過ぎて行った。
不幸なことに、その頃我が家は未曾有の危機に直面していて、両親は離婚。
父がひとりで残された家族を懸命に支えていた。
弟はまだ小学生。
父にとって長女の私は、この苦境を乗り切るために最も必要としていた存在だったに違いない。

ところが…。
うち、女優になる。東京に行くけんね!

この突然の宣言に父は激怒した。
アルバイトをしながらコツコツと貯めた貯金が、100万円の大台に乗ったのは17歳の時。
もう我慢の限界だった。
東京が呼んでいる!!

内緒で受験した俳優養成所「勝アカデミー」の合格通知も届いた。
行くなら今だ!お父さん、許して!

な、何を寝ぼけたことを言ってるんだ!お前、鏡を見たことがあるのか!

後は修羅場。
父は怒鳴り、私は泣き喚き、最後には「私は死んだと思って諦めてー!」と
絶叫するハメになった。

スッタモンダの挙句、父の「勝手にしろ」の一言で、私は鼻息荒く家を飛び出した。

夢の実現に向けて第一歩を踏み出したんだという高揚感で胸は一杯だったが、
新幹線が東京に近付くにつれ「東京は恐ろしい所なんだぞー!」という父の言葉が
よみがえって来て震えた。

当時の私にとって、東京は宇宙よりも遠いところだった。

到着後すぐに不動産屋に駆け込み、年齢を20歳過ぎだと誤魔化して西新宿の高層ビルの
隣に風呂なしの安いアパートを借りた。

24年前は超高層ビルの隣にボロアパートが平然と並んで建っていたのだ。
とりあえず、その日に寝る場所は確保出来た。

電気も電話もない薄暗いアパートの部屋で、ひとりになった途端に、緊張の糸が切れて
ふらふらと倒れこんでしまった。

曇りガラスの窓だけが妙に明るかった。
気を取り直して窓を開けてみると世良公則が立っていた。

当時大人気の世良公則とツイストのメンバーが、ずらっと目の前にいて私を見て
「アハハハ」と声を上げて笑っている。

東京は、窓を開けたら芸能人が立っているのか…

あまりの衝撃に、なす術もなく静かに窓を閉めた。
環境の激変で思考がパンクして幻が見えたのかもしれない。

もう一度そ〜っと開けてみた。
ツタが絡まるレンガの壁の路地に、世良公則…。
本物だ!まだ、笑っている。
グラビアの撮影だった。
しかも私の部屋の真ん前で。

カメラマンの後ろの窓が突然開き、中から寝ぼけた様な女がボーっと顔を出した。
そりゃ世良公則も笑うしかなかったのだろう。

これが上京初日の出来事。
つくづく東京は凄いと感動した。
世良公則は私と同じ広島県出身。
そうか!これは神様からの独立祝いのプレゼントだったんだ。
心細さに泣き出しそうだった私は、これで一気に気分が盛り上がった。

だが、世の中そうそう甘くはない。
貯金は瞬く間に底をつき、以後はアルバイトとレッスンだけに追われる日々。

「勝アカデミー」の生徒時代は何とか過ごすことも出来たが、卒業後のオーデションは
軒並み不合格。

やっとの思いで所属した事務所は、知らない間に潰れていた。
このままではアルバイトの経験職種ばかりが増えて行く。

一念発起し、もう一度俳優の養成所に挑戦してみようと試験を受けることにしたのは
21歳の春のことだった。

挑んだのは新劇の有名劇団、文学座と民芸、劇団四季。
そしてTBS内に新しく出来たタレント養成所の「緑山塾」。
劇団の受験はぜ〜んぶ失敗したが、どういう訳だか「緑山塾」が拾ってくれた。
心底TBSに感謝した。

緑山塾は、さすがにテレビ局内の養成所らしく、授業は全て緑山スタジオ内で行われる。

科目も演技の他にジャズダンスや体操、ヴォイストレーニング、太極拳、テニス、邦楽となんでもあり。
実習と称してドラマのエキストラには駆り出されるし、社員食堂では有名タレントと同席出来るしで、
少し前までの日常からは想像もつかない華やかさ。

根がミーハーな私は、毎日が遊園地のように楽しかった。

同期のAちゃんは、塾に内緒であろうことかドラマの撮影で毎日スタジオに来ていた
田原俊彦・としちゃんに「ムーンウォークを教えてもらう。ウフッ!」と宣言し、
楽屋まで押しかけて行った。

別にファンという訳ではなかったが、付き添いで私も同行。

マネージャーにシッシと追い返されそうになったが、「ム、ムーンウォークをー!!」と
取りすがるAちゃんの声に「な〜に〜?」と、としちゃんはさわやかに登場し、
ボクもあんまりよく解らないんだけどさぁ〜」と言いながらも、ムーンウォークを
伝授してくれた上に軽いおしゃべりまで付き合ってくれた。

としちゃん、暇だったのか…。

目が合うと、ふっと気を失いそうになるくらい美しかったとしちゃんは、その件以来、
スタジオの廊下などで顔を合わせる度に「ヤ!おはよ〜」と挨拶をしてくれるようになった。

としちゃんの方からアイサツ…!
これには本気で舞い上がった。

広島から出て来て良かったー!
父に電話して自慢したがアホかと言われた。

1年間の夢のような養成期間を過ぎて、緑山を無事卒業すると残ったのは厳しい現実。
元の木阿弥。スタジオまでの道は遠い。
同期生の活躍する姿がチラホラとテレビから流れ始めると、華やかだった分、
以前よりも余計に落ち込んだ。

悶々とする日々の中でふと頭をよぎった人がいた。
ヴォイストレーナーの大本恭敬先生。
緑山塾で講師をされていた大本先生はとても魅力的な名トレーナーで、
キラ星の如く輝く歌手を何人も育てている。

緑山塾でのヴォイストレーニングの授業中に、先生は私の歌を「イイネ〜!」とほめて下さった。
あまりに嬉しかったので、調子に乗って次々と歌ったら、今度は「お前、最悪!」とコテンパンに
叱られた。

だが滅多にほめられない私は、ほめられたことだけが快感になって残っている。
歌手になることなど考えたことはなかったが、先生なら助けてくれるかもしれない…。

細い糸を手繰り寄せるように、私は大本先生のご自宅を訪ねていた。


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