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歌と朗読と言葉をつむぐ*まほろカンパニー

朗読の妖精

ほろほろ日和Horohoro-biyori

とびら -小さな声-

何の進展もないまま、カウンセリングは三回目を迎えていた。

料金を払って身の上話をする行為が、実りのない無駄な時間を過ごしているように
思えて虚しかった。

Kさんはいつも穏やかで、時々好きなCDをかけたりしながらリラックスした雰囲気を作り、
私と時を過ごしている。

帰りたい…
そういえば、昨夜は一睡も出来なかった。
一晩中、唸された。相当限界に近付いているなと思う。
一刻も早くこの状態から抜け出したかった。

いつの間にかKさんは、自分の生い立ちを楽しそうに語り出した。
彼の言葉が、意味のない音になって私の周りを通り過ぎて行く。
頭は朦朧としていた。

あれ?どうしたんだろう!

突然、私の意志とは関係なく上半身が前屈みに倒れてしまった。
Kさんも、いきなり深くお辞儀をされたので驚いて話を止めた。
悲しくもないのに涙がぼろぼろとこぼれてくる。
戸惑う気持ちとは裏腹に、ついに私はその姿勢のままごうごうと泣き出してしまった。

泣いてる…どうして…?

人前で号泣しているのに、その理由が自分でも解らない。
この様子をしばらく見守っていたKさんが問いかけた。

何か言いたいことがありますか?
別に、ありません…

そう言おうとした。
だが、私の口から飛び出した言葉は思いがけないものだった。

わたし…わたし…いもうとを、ころしました

凍りついた。
自分が何を言っているのか理解出来ない。

わたしが妹を殺しました…

どういう意味ですか?説明してもらえますか

Kさんは静かな口調で聞いた。

今、何か見えていますか?そのまま言葉にしてみて下さい

私は目を閉じた。光をおびた映像が鮮やかに浮かび上がる。

まど。窓が見える

闇の中のとびらが音を立てて開いた。

あれは、5歳年下の弟が生まれる以前のことだ。

私は4歳。2歳になったばかりの妹とアパートの2階の部屋で遊んでいた。
母は近所のおばさんと庭先で立ち話をしている。
いつもと変わらない穏やかな午後だった。
母のはずんだ笑い声が聞こえた。妹と私は顔を見合わせ窓辺に駆け寄った。
母の笑顔が見たかった。
窓には網戸が張られていたが、その先は遮る物がなにもなくアパートの庭がよく見渡せた。
妹とふたりで踏み台を置き、網戸に寄りかかって下を見た。

おかあさ〜ん

ふたりで声を合わせて呼びかけた。
母の返事が聞こえなかったので、私はさらに網戸に体重をかけた。
その時カタンと乾いた音が響いた。
一瞬の出来事だった。

網戸が窓枠ごと外れて下に落ちた。
身体のバランスを崩したものの、辛うじて体勢を立て直した私の耳に、母の悲鳴が飛び込んで来た。

おくさん!救急車!!救急車呼んでー!!

隣りにいたはずの妹は網戸と共に頭から落下、地面に叩きつけられていた。

大変なことをしてしまった…

胸の鼓動が痛いほど早くなっている。
救急車のサイレンの音、妹の名を叫び続ける母、人々のざわめき、走り回る足音。
記憶の断片が渦を巻いて私の周りを回り出す。
妹は意識が戻らぬまま、翌日息をひきとった。

冷たくなった妹の身体、葬儀の準備、近所の人のお悔やみ、火葬場で人が焼かれ
るという事実、泣き崩れる父。

私も一緒に行く!連れてって!

と取り乱し棺の中に入ろうとした母。
どれもこれも、私が引き起こしたことでやって来たものだった。
ごめんなさい、ごめんなさい。どうしよう…どうしよう…
事態があまりにも大き過ぎて、小さな私には受けとめられない。
泣くことすら出来なかった。

わたしが妹を殺しました

それは当時4歳の私が、言葉にすることが出来なかった罪の意識だった。
自分のせいで妹が死んだのだ。
今ここで泣いているのは、まぎれもなく4歳の私だった。
自分の苦しみの原点がここにあるとは思いもしなかった。

心の奥で、置き去りにされたあの頃の私が助けを求めて泣いていた。
私たちは目の前でかけがえのない存在を失った。
ごめんね。助けてあげられなかった。ごめんね…
涙が止まらなかった。

おねえちゃん…

その時、ふいに小さな女の子の声が聞こえた。
私のすぐ横に座っている。

おねえちゃん…

妹だ。妹の声が聞こえる。

姿は見えないが、そこには確かに妹がいる。

す、すみません…い、妹の声が聞こえたような気が…

動揺した私は、机に突っ伏した姿勢のまま叫んだ。

あ…妹さん来てますか。何かおっしゃってますか?

Kさんは当たり前のように平然と言う。

え?あ、いえ、気のせいです。たぶん

霊感は強い方ではないし、こんなことが現実にあるはずがない。

いや、ちゃんといらしてますよ。妹さんの言葉を聴いてあげましょう

Kさんは子供に話し掛けるように言った。

覚悟した。このまま行ける所まで行こう。何が起きるのか見てみよう。
私は目を閉じて、耳を澄ました。

おねえちゃん…泣かないで…


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