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歌と朗読と言葉をつむぐ*まほろカンパニー

朗読の妖精

ほろほろ写真日和Horohoro-photo-biyori

怒鳴る人

テレビから、怒鳴り声が聞こえる。

演出家・蜷川幸雄さんの声だ。

画面を観ると、蜷川さんは手元にあった台本を、役者に向かって
投げつけている。

自分に向かって台本が飛んでくると想像しただけで、恐ろしい。

これは、蜷川さんが「鬼の演出家」役で出演した、映画の1シーン
なのだそうだ。

その証拠に、監督の、「カット!」の声がかかると同時に、蜷川さんは
照れ臭そうに椅子から滑り落ち、役者に向かって土下座をして笑っていた。

チャーミングな人、なのかもしれない。

けれど実際の稽古場では、チャーミングなんてすっ飛んで、それはそれは
凄まじく怖かったに違いない。

寺島しのぶさんは、灰皿どころか靴まで投げられたとおっしゃっていた。

芸事の世界は、理不尽で、厳しい。

ぼんくらな若いうちは、どうしたって怒鳴られまくる。

「お上手になられましたね〜!」
なんて言っていたら、まったく上手くならないだろう。

私も、歌の修業中に、師匠やお店のオーナーに、何度も怒鳴られた。

譜面や消しゴムが顔面に飛んで来るのは当たり前だったし、レッスンでは
さんざん怒鳴られて、一声も聴いてもらえず帰されたこともある。

今だからわかるが、実力が伴っていないのに、プライドでガチガチの小娘を
育てるのには、きっとその方法しかなかったのかもしれない。

コテンパンにやっつけて不要なプライドを叩き壊し、その上で、芸能の世界
で生きる意識を一から叩き込み、本物の力を養って行こうとされた師匠の
エネルギーは凄かったなと思う。

お陰様で、私は根っこが深くしなやかになれたように思うし、厳しさに
耐えて、それなりに光を目指す強さも覚悟も手に入れられたと思う。

そして何よりも、師匠の怒鳴り声の奥には、「愛」とか「親心」みたいなもの
が感じられた。

それでも…

それでも…だ。

私は、怒鳴るのも、怒鳴られるのも二度とゴメンだ。

子どもを育ててみてわかった。
怒鳴らなくても、「話せばわかる!」。

強烈な熱意の後ろに、確固たる「愛」があれば、タイミングを計算して
怒鳴るのも効果があるだろう。

危険な時とか、余程たるんでいる時とかね。

でも、この頃、そういう怒鳴り方が出来る人が少ない気もする。

自分に従わせるために、恐怖を植え付ける。
単なるストレス発散で怒鳴る。
大声を出して威嚇する。
単純にイライラしている。
何となく気に食わない。

これは、指導ではなくてモラハラじゃないのかな。

この頃は、スポーツの世界でも、科学的にトレーニングをし、論理的に
伝え、良い結果を出しているコーチや選手もたくさんいる。

そういう人たちは、声を荒げない。

選手や共に仕事をする人たちを委縮させては、良い結果が出せないと
知っているからだ。

未だに怒鳴る演出家や指導者がいるとすれば、それは古いやり方に
固執している、語るべき言葉を持たない人と思った方が良い。

闘わない、痛みを伴わない育て方だってあるはずだ。

言葉を持ちたい。

自分も人も納得させる、すうっと心の奥底に届く真実の言葉を持ちたいと
私は切に願っている。